語学ノオト

語学を学ぶためのメモ書き

現状の課題

前回、Duolingoの中国語を一通り終えた後、実はDuolingoをする機会がなくなってしまった。何が原因なのか今となってはあまり思い出せないが、ともかくも他に時間をかけなければいけないことが出来たのだろう。すきま時間でササッとするスタイルであれば良かったのかもしれないが、わらわらと語学数を増やし、英語からだけじゃなくフランス語から他の言語をやってみたり、スペイン語からもやってみたりして収拾がつかなくなってしまったのも大きいか。それから半年くらい経って、やっといろんなことも落ち着いてまた再び語学に取り組む意欲が出てきた。

思い返せば、いつもこんな感じだったような気もするからきっと僕の語学に対する優先順位はそういうことなのだろう。時間があれば新聞やネットを眺めたり、ラジオやポッドキャストを聞いてみたりはするけれど、特に目的を決めて勉強するわけではない。そして忙しくなればバタッと止めて、しばらくすると再開する。

 

今年中にフランス語と中国語は実用レベルに引き上げる目標にしているので、そのタイムスケジュールは立てないといけないが、そのためにDuolingoを活用することにする。6ヶ月後の出来上がりをイメージし、明確なゴールを設定して進むことにする。語学の学習では始めての試みかもしれない。

 

この半年は英語を主に使う仕事に従事してきて、さまざまな角度から英語に触れる機会があった。一日の中で頻繁に英語を使うようになり、日本にいながら日本語が薄れていくような奇妙な気分を味わったり、その反面テレビやポッドキャストでのリスニングに慣れて英語がすんなりと耳に入ってくるようになったり、語学は使用する時間に比例して上達するのだと実感している。

 

そんな状況におかれてやっとというべきか、「日本語を磨く」大切さに心が向かうようになった。世界を認識し、自分の思考を深めるための言語として日本語をもっと活用しないと新しい世界は切り開けない。外国語を学ぶことはもちろん大切だが、それと同じように母国語を大切にする。(母国語とは何か、外国語とは何か、という議論は一旦置いておく。)

 

言葉を使う仕事をこれからも続けていく以上、母国語と外国語のバランスと深さに注意しながら語学を学んでいこうと思う。そして継続して語学を学ぶこと。それがこの6ヶ月の課題。

中国語一回目修了(Duolingo)、そして次の目標へ

先ほど、Duolingoの英語→中国語コースを一通り終えた。スタートしてからたぶん74日。現在で74日継続中で、おそらく最初からやっていたはずだから、きっとそうだ。今はクラウンシステム(ほんとはどういうか知らない)になってしまったので感動が薄れてしまったがまずは一通り終えるのが目標だったので、よしとせねばというのが正直なところ。完全な自己満足だけれど、Twitterで自分の達成度合いをシェアしながら進めるのが励みになっていた面があるので、Twitterでこの達成感をシェアできないのは少し寂しい気もする。まぁしかしまずは一通り終えたことを素直に喜びたい。それから言葉は使えてナンボだということでいかに使い、モノにしていくかを考えよう。

 

現行のDuolingoのシステムだとこれからは繰り返しになる。そして淡々とレベルを上げていくことになるのだろう。すべてのユニットを終えたときにレベルが25になるのかどうかは達成していないので分からないが、次の目標はおそらくレベル25ということになろうか。ちなみに今はレベル12。今までと同じくらいの道程なのか、それともさらに険しいのか、それは進んでみないと分からないだろう。

 

中国語に関しては、ここから復習をしながら実際に「使う」ことが重要になるはずだ。言葉は相手あってのものだから、Duolingoがどんなレベルだろうが、どんな資格を持っていようが、使えないことには話にならない。そういう意味では実際にネイティブの人たちと話しをして、加速していかなくてはならない。

 

英語に関して最近よく思うことだが、「教える」側に立つといろんなことが見えてくるような気がする。今まで気にならなかったことや飛ばしても平気だったことに目が行き、些細なことが気になる。隙間を埋める作業が増えたとでも言えば良いか。教えるための準備で学ぶことは本当に多い。

 

中国語もそんな状態になるといいなと単純に思う。この半年くらいで加速をし、中検準一級や二級、もしくはHSK4や5レベルに行ければ、というのが今の目標。そして使い込んでいくことで中国語が「こなれて」くるようになれば一人前か。

 

よし、次の目標を、5月11日(土)のHSK4級、5級、そして6月24日(日)の中検二級、準一級の合格とすることにして、ちょっとがんばってみよう。

 

 

外国語を学んでしたかったこと

昨日、家に帰りながらふと思い出したことがある。どうして外国語を学ぶのかということについて、たしか大学生の頃だったか頭をよぎった考えがあった。それは「どの街に行っても、その街に溶け込むこと」ということだった。どの街に行っても、朝に新聞を買いカフェに入ってコーヒーを飲みながら新聞を読む。あたかもずっとそこに住んでいるかのように、当たり前のようにその土地の朝ごはんを食べる。北京や上海なら油条とお粥、パリならクロワッサンとコーヒー、ナイロビならなんだろうフルーツか、まぁともかくその土地のものを食べる。そういうことだ。

もともと一箇所に定住することはあまり考えてなくて、いろんな場所に行って暮らしてみたいと漠と考えていたように思う。なので、いろんな言葉を話せるようになるのは自然な欲求としてもともと自分の中にあった。ただ、なかなかそれを実行に移せずにいた。実際に語学を勉強するには集中力とエネルギーが要る。ただ、その国に行って自然と振る舞うようになりたい、というのは強烈な願望とは言い難い。語学を学ぶモチベーションとしてはかなり弱い。従って、僕の外国語学習は常に後回しにされてきた。

 

今日でDuolingoは59日間継続している。新たに日本語(Level 9 !)も始めたし、違う言語も取り入れてみている。(それについては別の機会に書くことにする。)今日はたまたま録画していたNHKの旅するシリーズを見て、4月からどうやって語学を勉強していこうか考えていたりもする。

今の自分のモチベーションは何なのか、まだ実はよく分かってはいない。でも好きな将棋や麻雀を止めて(実際にアプリも削除した)まで語学にのめり込んでいるのは何故なんだろうと不思議に思う。フランスの蚤の市に行くのも良いだろうし、プロヴァンス地方を旅するのもいいだろう。ナポリに行って濃いイタリアを堪能するのもいいだろう。でもつまるところ何をしたいのか、もっと明確にしないと先には進めないだろうという気もする。

 

でもまぁ今はとにかく4月までDuolingoを継続しながら基礎を固めるということにしておこう。

 

2018年3月4日 現時点での立ち位置

今日で、 Duolingo継続49日目。ほんとは最初から書いておけば良かったのだがとにかく継続が大切だからと続けることに重きを置いていた。始めて2週間くらい経つとリズムになってきて、日課になったような気がする。PCだけでなくスマートフォンからも出来るし、スマートフォンだと音声入力も出てくるのでスピーキングの強化にもなる。個人的にはこの機能がとても気に入った。読み上げも人工音だとは思うが気にならない。テクノロジーの進化を感じさせるし、良い時代になったとも思う。そのうち自動翻訳も充実してきて外国語を学ぶ意義も薄れる懸念もあるが、それはそれとして今は外国語を楽しんで学べている感覚がある。

 

現時点での進捗は下記の通り。

・英語:Level 11, 76%

・中国語:Level 10, n/a

・フランス語:Level 8, 53%

デンマーク語:Level 8, 52%

スペイン語:Level 8, 45%

・イタリア語:Level 7, 35%

・ロシア語:Level 7, n/a

 

中国語とロシア語は語学レベルの%表示がない。左のレベルは費やす時間に応じて上がって行くが、右の語学レベルは習熟度を表すのか費やした時間と比例するわけではない。

英語は一応すべてのトピックというかユニットは終わった。テストで途中から編入した感じか。語学レベルは76%で止まったまま。もっと上げたいけれど復習でよく間違えるので仕方ないか。今はアイコンが復習すべしと金色から元の色に変わったのをやるといった感じで毎日しているわけではない。

馴染みがある、中国語、フランス語、デンマーク語はできれば一日1ユニットはやりたいところだが、復習もあるのでその兼ね合いでしかし一日50xpはやれるようにしている。

イタリア語とロシア語は焦らずに少しずつ、特にロシア語はアルファベットを覚えるのに苦労しているのでコツコツ一つずつできれば良し。

 

もちろんすべてのユニットが出来たからって即その言葉が話せているわけではないだろうが、目標というか一応の安心感みたいなものがあって、一通り終えてしまえば基礎は終えたと言っても良いような気がする。今はまず中国語、フランス語、デンマーク語を一通り終えて英語と同じように復習モードにしたい。そこまで行けたらそれらの言語については基礎編が修了したと思えるし、資格にチャレンジするなりその言葉を使っての仕事にトライしてみても良いのではないかと思う。

 

ほんとはアラビア語を始めたいのだが残念ながらDuolingoではまだリリースされていないようだ。3月1日から出来るようになる、みたいな記事を読んだ気もするがまぁ仕方なし。

 

次にチャレンジする言語としては、ドイツ語、ポルトガル語トルコ語ギリシャ語、ベトナム語を考えている。これらの言葉は当初はまったく想定していなかったが、Duolingoで学べるのでやってみてもいいかな、という気になっている。実際一度はリストに加えたのだがまずは当初の7言語に集中すべきだろうと思い、削除した。中国語とデンマーク語とフランス語が終わったら追加しようと思う。それはそれで楽しみだし、上記3言語を学ぶモチベーションにもなっている気がする。

 

そんな感じの今日此の頃だが、こうやって時々進捗状況をアップデートしながら語学を学んでみようと思う。

 

 

外国語を教えることについて

外国語を学び、少し慣れてくるようになるとその経験を人に伝えてはどうかという気になる。幸い、世間には外国語を学びたいという人びとがたくさんいて(なぜ英語だけなのか、はさておき)、外国語を話せると役に立つ場面もある。

例えば英語が話せない人が英語を話したいと思うとする。どうすれば自分は英語を話せるようになるのか。その動機はさまざまである。仕事に直結する人、進学に役立つ人、余暇を充実させたい人、などなど。しかし皆が一様に英語を話したいと願う。それではどうすれば良いか。

 

結論を先に言ってしまえば、身も蓋もない言い方になるがその個人個人に向き合うしかない。各々が求める動機は様々であり、これで大丈夫ですと言い切れる特効薬があるわけではない。日々、英語に接しながらその言語に慣れていくしか方法はない。赤ちゃんが言葉を覚えるように一つずつ、一つずつ。

ひょっとすると、「何らかの方法で短期間に効率的に言葉を覚える」ということが成り立つのかどうか考えてみても良いかもしれない。短期間で母国語以外の言語を学べるようになるのか。

 

現時点での自分の感想を言えば、短期間で外国語を習得することは可能であろう、しかし短期間は自分が望むそれではない、というところか。この世に生を受けて肉親以外の人と言葉を使って何らかのコミュニケーションを取れるにようになるには、最低でも10年はかかるのではないか。例えば、小学校5年生と話しをすることを考えてみてほしい。もちろん日本語でやり取りはできるが、その内容はとても制約されたものになるはずだ。その会話の内容は一般の社会人の日常とはかけ離れたものになる。おそらく「会話を楽しむ」というのとは程遠い内容になるだろう。

外国語を学ぶ自分は社会経験は豊富でも、話せる語彙は小学校5年生程度しかないとすればどうだろうか。少し背筋が寒くなるかもしれない。言いたいことがないわけではないが、アウトプットする方法がない。知らない言葉は話せない。そういうことだ。

 

少し話しが脱線してしまったような気もするが、言いたいことは「効率的に言葉を学ぼうとしないこと」である。一直線に外国語が学べるようになるなんて幻想は抱かないこと。言葉とはいろんな体験を通じて、その状況に応じて身に付くものだから短時間で簡単に身に付くものでない、と改めて認識すること。要するに「忘れてなんぼ」ということである。その言葉を忘れるのは使わないから、必要ないからだ、と割り切ること。必要になったときに覚えれば良い、それだけ。

 

何より大切なのは、繰り返しになるが「日々、使うこと」これに尽きる。日常の中でその言語に触れる機会を持つこと。考えてみれば当たり前だ。人間が言葉を覚えるのはそれが自分の生活に必要だからだ。必要がないことを覚えておけるほど人間の脳は賢くない(だろう)。そう考えると外国語を学ぶことの意味が少し違って見えてくるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

集中力

昨日、外出中に時間が空いたので、 Duolingoをしようと思い、スターバックスに入った。店内にはかなりの人がいたが自分を席を確保し、iPhoneでも良かったのだけどせっかくだからとMacBookを取り出しイヤホンをセットした。アプリ版だと発音をしなければいけない場合があるのと、iPhoneにイヤホンジャックがないのもちょっとしたことだけれど大きな理由だった。

 

中国語から始めて、デンマーク語に移り順調にこなす。この2つの言語には少し馴染みがあるのでそんなに時間はかからないかった。ここまでは良かった。

 

問題は次にチャレンジしたロシア語。いやー、見事なまでに何も覚えていないし長い単語が書けない。"Можете сказать мне"を何度見ても覚えられない。何度も何度も間違えてもう一つ長い単語が出てきて頭が混乱し始めた。今から思い返せば少し休憩すれば良かったのだろう。外の冷たい空気を吸ってリフレッシュすれば良かったのだと思う。でもその時点で開始から1時間が過ぎ、あまり時間も残ってなくて早く次に進みたかった。

そんなこんなで気が急いているときに限って隣りの若いカップルの会話がイヤホン越しに耳に入ってくる。他愛のない話だ。誰々と会ったとか、何を食べるとか、どこに遊びに行くとか、そんな話しを女の子の方が延々としている。よくもまぁそれだけ話しても飽きないね、と全く余計な思いが頭を巡る。何度か時計を見ていたので、もう席を立つのかと思えば立たずに話し続ける。そんなことにもイライラし始め、目の前のスクリーンに集中しないといけないのにまったく一文字も頭に入って来なくなった。

 

結局、ギブアップ。ロシア語が完全に嫌いになりそうになった。というか一瞬なったが思い直した。隣りのカップルがつまらない話をするからだと八つ当たりすることにし、時間にもなったので席を立とうとすると、なんとお隣りも席を立ち始めた。今日は全くついてないな、と思いながら店を出る。

結局、夜遅くに家に帰りやっぱり悔しいのでそこだけ復習する。あっさりと出来る。どうしてスターバックスでは出来なかったのか不思議なくらいあっさりと。これでロシア語を嫌いにならずに済んだ。良かった。

 

隙間時間だろうがなんだろうが、語学を勉強するときには集中する。これはほんとに大切なことだと改めて認識した。5分でも良いから集中してその語学に向き合う。ダラダラ30分やるよりもよっぽど良いと思う。

今回の教訓を得て次回からは、外で語学を勉強するときにはもう少し集中できる環境に気を配ることにする。カップルの隣りでは語学を勉強することは避けよう。(まだ八つ当たり気味。)

 

外国語を学ぶために必要なこと

外国語を学ぶ上で、大切なこと。それは「どこまで話せるようになりたいか」を決めること。さらに言うなら「どの範囲で、どこまで話せるようになりたいか。」海外旅行に行って、レストランで注文できるようになりたいのか、それとも学会でプレゼンできるようになりたいのか、その外国語で何をしたいかによって勉強する内容は自ずと変わる。

 

我々は、どの言葉も完璧に話せるわけではない。母国語と言われる言葉でさえも知らないことはたくさんある。ましてや外国語なら、知らなくて当たり前だ。ならば、外国語を学ぶ前に「どこまで行きたいか」を明確に意識しておく必要はあるだろう。もちろん学び始めたら見えてくる景色も違えば、新たに加わる感覚もあり、進むに従って変わって行ってもかまわない。でも「そもそも何がしたかったのか」を持っておくことは決定的に大切。

 

僕の場合は、その辺りがずっと漠としすぎていたように思う。英語や中国語を齧ってはみたものの、大学から社会人にかけてずっと中途半端な感覚は拭えなかった。語学学校に通ったりしてみたものの、フランス語が身に付く感覚は全く得られなかった。投入した時間に比べて得られたものはあまりに少なかった(と思う)。そもそもどのくらいの時間投入でどのくらいのリターンを求めていたのだろう。きっとあまり努力せずとも身に付けられると思っていたのだろう。今となっては、一体何がしたかったのかさえ、ぼんやりとして思い出せない。自分は一体、外国語を話すことで何がしたかったのか。

 

外国語を再び学ぶに当り、昔やったことを何とかかたちにしたいという思いが強かった。中途半端になっているものを何とか使えるようになるレベルまで持ち上げたい。そんな想いで再び外国語習得に挑むことにした。そしてそれからひと月、毎日Duolingoで外国語に触れながら、自分は一体何がしたいのかを自問している。なぜフランス語を話せるようになりたいのか、その答えがはっきりしないうちはきっと強いモチベーションとはならないように思うが、それでもアイドリングでも構わないから、毎日毎日、その外国語に触れているのはとても重要ではないかと思うようになった。一日5分でいいから、学びたい外国語に触れる。「何がしたいか」分からないうちは、分かるまで毎日、それを続けよう。

 

まずはそこから。